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・好きな言葉 ・朝に聞く一曲 ・昼に聞く一曲 ・夜に聞く一曲 ・誰に何と言われようが、これだけは譲れない!! ・将来の夢 ・最近、はまっている事 ・街でカップルがケンカしています。ケンカの原因は何だと思いますか? ・音楽以外の趣味 ・学生時代、苦手だった教科 ・過去に経験したアルバイト ・好きな映画 ・急に100万円貰ったら何に使う? ・これだけは勘弁して下さい ・カラオケの18番 ・お気に入りの使用機材
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江田良一(コウダ リョウイチ) ボーカル、ギター 生年月日:1980年7月17日 血液型:O型 出身地:山口県下関市 |
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若菜貴之(ワカナ タカユキ) ギター、アコースティックギター 生年月日:1979年10月17日 血液型:O型 出身地:大阪府八尾市 |
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榎本誠(エノモト マコト) ベース、アコースティックギター、三線 生年月日:1979年10月23日 血液型:B型 出身地:埼玉県鷲宮町 |
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1998年 |
冬 ボーカル江田良一と当時キーボードを担当していた古賀久士が福岡の音楽専門学校で出会い、地元山口県下関や北九州小倉、福岡の街中で2人で活動を開始する。 |
1999年 |
古賀の強力な誘いで2人で上京し、池袋を中心に東京の各所で精力的にストリートライブ活動を開始。 その頃、池袋の地下歩道で一人活動していた榎本誠がいた。度々同じ場所で歌ってて顔を覚えていた榎本に二人が声を掛けて、半ば強引に同じく活動するよう説得し3人での活動が始まった。 |
2001年 |
春 さらに音の幅を広げるためにメンバーを探し始めようと思っていた頃、ミュージシャンになるために大阪から東京の音楽専門 学校で学んでいた若菜貴之が知人の紹介で参加。4人での活動を決めバンド名を『mushroom』と命名した。 当時、フジテレビの深夜番組で『エブナイサタデー』と言う番組があり、運試しのつもりで受けたコーナー、“おんがくマニュアるバンドの星”のオーディションで合格。 ここから10週勝ち抜けのための厳しい毎日が始まり、オリジナルの曲で10週目をチャレンジで見事合格し、レコードメーカー争奪戦の中、新興のレコード会社「R&C Japan Ltd.」 から10週勝ち抜きその時に歌った『ラジオから…』でデビュー。 |
2003年 |
1月18日 セカンドシングル『ボクであるために』をリリース。 |
2004年 |
12月28日 morph tokyoでのイベント出演を最後に、キーボードの古賀久士がソロでの活動を希望し脱退。 これに伴い、リーダーは古賀からギターの若菜貴之が引き継ぐこととなった |
2005年 |
4月15日 完全手売りでの1000枚限定CDをリリースするにあたり(BREATH&SMILE)、グループ名を心機一転!! それでも「mushroom=きのこ」の意味は残したかったため『FUNGO』と改名morph-tokyoでのマンスリーライブに加え、 8月には初の大阪ツアーも行った。 12月29日 初の主催イベント”餅つかnight! 年越せnight!を開催!! 彼等の友達バンドChangelling, MinxZone, お笑い芸人のぽってかすーが出演。この日の目玉は、何と言っても『餅つき大会』だったとか……。 |
2006年 |
2月16日 FUNGOとして初のワンマンライブをmorph-tokyoで行う。イベントタイトルは”ここ掘れワン!マン!!と銘打ち、 6月2日 第2回のワンマンライブをmorph-tokyoで行った。前回に引き続きアンコールでは謎のバンドが登場!! |
2007年 |
9月26日 全国発売としては約4年ぶりとなる『アコースティック ロック』と言う、ミニアルバムをサウンドプロデューに中村修司氏を 迎えて制作し待望のリリースを行う。このアルバムは創っては壊し、創っては壊しと、足かけ2年に及ぶ制作期間 費やし、 今までリリースしてきた作品の中でも、特別な思い入れのあるアルバムとなり、歌唱力、楽器力においても 中村氏のアドバイスにより彼等が大きく成長、前進できた1枚となった。 10月8日 ホームグランドのmorph-tokyoで5回目のワンマンライブを行う予定!! |